誰かの心に残りたい人生だった

私の存在を記すためのブログ

やりたくないことリスト

気づけば世の中は就活シーズンに突入していた。
ふと自分の就活を思い出し、いろいろググっていて懐かしくも苦しい思いをしている。

「やりたいことがない人」向けの記事で、「やりたくないことリスト」を作るという手法が提案されていた。試しにつくってみて私がいかに社会人に向いてないか曝そうと思う。
会社への愚痴を交えつつ。



1. 人の指示に従う
いきなりで申し訳ないが、なぜ他人のいうことを聞かないといけないの?なんで無条件に従うの?断っちゃいけないの?
という疑問が無限に湧いてくる。
雇用契約だから仕方ないが、そもそも「使われている感」が気に入らない。奴隷と何が違うんだ。
給料が「生かすための施し」みたいに感じられて不快だ。


2. 協調する
私は基本的に他人に左右されたくないので、協力して何かをやるみたいなのは苦手だ。
相手の事情なんて知りませんよ。なんで合わせなきゃいけないの?まあ昔から他人のことを考えるのが苦手だったし。
それにチームで何か達成してもそれはチームの業績であって、自分の業績にはならない。「チームに貢献する」ということに全く喜びを感じない。


3. 「~のために」
私は今まであらゆるコミュニティを追い出されてきた。すなわちまったく必要とされてこなかった。
なのにどうして「お客様のために」「会社のために」「世の中のために」みたいな発想が出てこようか。
お察しの通り私の承認欲求とは矛盾するが、どうしても嫌悪感・違和感をぬぐえない。


今日はここまでにするか。
正直会社員に向いてないし辞めたい。でも生活費が稼げないからひとまず続けるしかない。転職するにもやりたい仕事がない。
そもそも生きるのに向いてない。でもこのまま死ぬのもなんか未練がある。

まさに生かさず殺さず。社会の畜生。略して社畜

メンヘラが1年間働いてみた結果

就職してからおおよそ1年がたとうとしている。たった1年、されど1年、ただひたすらに苦しい1年だった。

思い返せば、就活が終わってから心が落ち着いた日などなかった。就職は未来への羽ばたきなどではなく、奈落への飛び込みである。



まず研修という名の集団生活。いきなりきつい試練である。
私の苦手とする人間関係の構築を強要される。ほかの同期もそれほどコミュニケーションがうまくなかったのが幸いか、つかずはなれず、お互いけん制しあうような人間関係が形成されていった。



研修がおわってから本格的に業務にかかわることになる。
クローズでの就職なので、自分がメンヘラであることを悟られないよう必死で働いた。毎日「何か」におびえながら、なんとか生きねばならない。その一心だった。


多少頑張った甲斐があったのか、秋ごろより大きな仕事を任されるようになる。
まだ右も左もわからないひよっこにとっては荷が重いが、素直にチャンスだと受け取った。
ここでいい仕事をすれば周りからも認められ、自分もようやく満足して社会の一員になれるんじゃないか。自分は気合を入れて取り組んだ。


しかし思うようには進んでくれなかった。何もわからない状態から「やってみろ」と言われてもなかなかできない。弊社は基本的に全部自分で対処しなければならない。次から次へと問題を指摘され、毎日パニックになりかけながら一日一日を乗り切った。

そのうち、家事をする気力を失い、夜も眠れなくなり、心も体もボロボロになった。帰宅して酒をあおってすぐに寝る。食事はコンビニか外食。掃除もせず部屋は荒れていった。典型的な「社会の波にのまれて自分を失った若者」そのものだった。よくないとわかっていても、自暴自棄になった自分は止められなかった。給料はもらっていても実質家計は赤字続きだった。

そんな感じで年を越した。年末年始といえども実家には帰らなかった。あの家にはもう戻りたくなかった。

幸い、年末年始はまとまった休みが取れる。自分を見つめなおす絶好の機会だった。
自分は社会に向いてない。かといってただ消費するだけの障害者生活は承認欲求が満たされない。どちらに行っても闇。もういっそ死ぬか。すぐそこに線路があるじゃないか。などといつもどおりのことを考えていた。

結局自分はこの1年で何も変わっていないのだ。働き始めれば何か変わる。そんなぬるい考えがあったのだろうと自覚した。

ただ、働いているという事実はむしろ良いことでは?と、ふと思った。本当に何もしなかった昨年にくらべれば、遥かに進歩しているのではないか。

自分はいつまでこの生活を続けるのだろう。この会社もいつまで働くかわからない。けど、自分を認めるためには生きるしかなく、生きるためには働くしかないのだ。

生きていけなくなったら、死ぬだけのことなのだ。

精神科入院の思い出1 (基本編)

私は2011年秋から数か月精神科に入院していた。当時に希死念慮が高まっていたのと、薬も増え生活週間も悪化していたことが重なり、自分で自分の生活を維持できなくなっていたことが理由である。ここでは経緯よりも精神科病棟がどのようなものだったかの思い出を振り返ろうと思う。


閉鎖病棟とは


まず私が入れられたのは閉鎖病棟である。この病院では閉鎖病棟開放病棟があるが、閉鎖病棟は入口のドアが施錠されて外出できないようになっている。
「精神科の病棟」のイメージに近いのはこちらであろう。

ざっくり言って「重症患者」は(開放ではなく)閉鎖病棟に入れられる。ただ軽症であってもベッド数の関係で開放病棟が埋まっているなど、一時的な措置で閉鎖病棟という場合もある。

病棟は、デイルーム、病室、ナースステーションというシンプルな構造だった。なお、病棟の最奥に外側から鍵がかかる個室、すなわち隔離室があったらしい。(自分は近づけなかった)

デイルームは完全に談話スペースであり、みんなで食事やテレビを見るなどして過ごす場所であり、かつ面会用スペースでもあった。懐かしの電話ボックスがあり、外部と連絡をとれる唯一の手段となっていた。


基本の生活


入院生活は極めて規則正しい。

7:00 起床
8:00 朝食
8:45 計測
9:00 ラジオ体操
10:00 回診
12:00 昼食
18:00 夕食
21:00 就寝

 

ラジオ体操は第2までやる。第1までしか知らなかったので見様見真似でやっていた。


浴室が一つしかないので、月水金が男性、火木土が女性というふうに割り当てられていた。浴室といってもシャワーしかなく、一人30分の枠で交代して入っていた。

入院中の患者は5人ほどの医師がチームを組んで対応するらしい。そのうちの一人が研修医であり、主に面倒を見てくれるのである。偉い先生は姿は見せるもののよほどのことがないと関わってこない。


そして1日1回、回診と称して担当の先生方がぞろぞろとやってきて「今日の気分はどうですか」などと尋ねてくる。「調子がいいです」といっても「悪いです」といっても反応は変わらない。どう答えても「ゆっくり休んでください」と言われるのだった。


上記以外の時間は何もすることがないので、何らかの方法で時間をつぶさねばならない。スマホや電子機器類は没収されるので、必然的に読書かテレビくらいしか選択肢がない。ひたすら暇との戦いであり、気分の落ち込みというよりも、暇すぎて発狂しそうだった。「何かやることがある」ということの贅沢さを痛感したのだった。

私はあまりにも暇なので、勇気を出してほかの患者に絡むことを決意したのである。

(つづく)

カルテ開示

なかなかブログの更新を続けるのは難しいものである。何を書くべきかわからない。
まあ、ひとつの役割として精神科体験記ということにしているが、あまりだらだらと時系列にそって書き続けるのもしんどい。書く側も読む側も。
今後はある程度ポイントを絞って書いていく方針にしよう。

ところで、本ブログの体験談はできるだけ正確性を保つため、開示したカルテを参考にしている。
ふと、「カルテ開示って実はあまりやらないのいでは?とくに精神科だと」と思いついた。そこで今回はカルテの開示請求の流れを振り返る。



1. 開示請求の申請
当時転院の時期であり、最期の診察が終わったことを確認して「全部見てやろう」などと邪な気持ちで開示請求に踏み切った。当初はそもそも開示請求ってどこでやるの?どんなことすればいいの?みたいな感じだったので、まず総合受付に行った。(もちろんアポなし)

私「すみません。カルテの開示請求をしたいんですが」
受付「あ、はい。少々お待ちいただけますか。あと、診察券見せていただけますか」

わりと手慣れた対応だった。素直に診察券を提示するとどこかに電話をかけはじめた。たぶん単なる取次だろう。

すると、「7番窓口へ行ってください」と促された。7番窓口とは具体的に何をしているのか不明であったが、よく患者が呼び出される窓口だった。

気を引き締めて向かうと、何やら重苦しい表情のおばさんが登場した。白衣を着ているから医師であろう。

医師「カルテ開示の方ですね。こちらの書類に目を通してください」

要するに申請書だった。カルテ開示請求の流れがフローチャートで示され、注意事項が列記されていた。主に「~の場合は開示できない」みたいな内容だった
同意するなら必要事項を記入せよとのことだった。

住所や氏名のほか、開示したい書類、医師の立ち合いの有無を選択できるようだった。
開示できるカルテとは、いわゆる電子カルテを紙媒体に印刷したものであるが、
・開示が必要な期間
・入院も含むか、それとも通院記録のみか
・CTなどのフィルムも含むか
・閲覧のみか、印刷するか

が選択できる。自分はまよわず、
・初診から現在まで
・入院も含むすべて
・CTや各種検査記録もすべて
・すべて印刷

で申請した。

医師の立ち合いとは、カルテの内容に質問がある場合、患者が専門の医師に尋ねることができるらしい。ただその場合はカルテ開示の日が限定され、日程が合わない場合はカルテ開示そのものが(無駄に)延期される。私はこれは「不要」と申請した。

なお、カルテ開示の理由や目的をかく欄はなく、また口頭での質問もなかった。


2. カルテ開示通知
カルテ開示請求の「申請をすると、2週間くらいしてから「開示できるかどうかを審査した結果を通知する書類」が郵送される。正式な名称は忘れた。開示可能な場合はその日程がピンポイントで指定される。ここで、開示してくれるのはこの日程のみであり、他は認められない。しかも日程は完全に病院側が指定するものである。平日に迅速に休みを取れない患者は開示請求が難しいが、その場合は代理人を用意すればいいらしい。自分は当時まだ学生であり、時間の融通がきいたので問題なく行けた。


3. カルテの受領
指定された日に受付に行くと、膨大な書類が山積みになっていた。尋ねると4000枚を超えていた。さすがに通院・入院記録ともなるとこれだけになるのだろう。
私はあらかじめコンビニで丈夫な紙袋を買っておいたので、それで持って帰ることにした。重かった。CTデータはフィルムでもらった。CDとかに焼いてくれれば楽なのにと思ったが、DICOMを開くソフトを一般人が使いこなせるかというと疑問なので妥当かもしれない。

ちなみに料金であるが、完全に実費である。私の場合は枚数が多いので1万を優に超えたが。


4. カルテの内容
さて、カルテには何が書かれていたかということだが、

・割と簡潔に書かれている
・略語が多いが、文脈から読めなくはない
・検査記録は詳細
・医師間のやりとりも開示されている(他院からの紹介状など)

結論として、非常に有意義な情報源である。医師側が何を考えていたのかがよくわかる。


5. カルテ開示のリスク
私は穏便にカルテ開示をしたが、もちろんリスクはある。

・治療の途中であれば医師との信頼関係を壊しかねない。
・医師の所見を読んでショックを受ける可能性がある

といったところか。


6. まとめ
私はとくに支障なくカルテ開示ができた。単純に知りたいという欲求からだったが、開示してよかったと思っている。

 

以上、参考になれば幸いである。

精神科医とのかかわり方

体験談のほうで初診が終わったところまで書いたので、番外編として私なりの精神科医とのかかわり方を書いてみたい。ここに記すことは当時から考えていたことではなく、後々になって気づいた反省点のようなものである。


問診の内容

精神科の診察は問診と処方のみであり、何か検査をすることはめったにない。したがって必然的に患者のコミュニケーション能力が問われるやっかいな場である。

精神科というのはほぼ定期的に通院するもので、多くて週1回、少なければ3か月に一回という場合もある。問診で聞かれる内容はだいたい決まっており、

「(前回から今までの)体調はどうですか」
「前回出した薬は効いてますか」
「最近何か変わったことはありますか」

何かテンプレートにそっているかのようなざっくりとした質問であるが、私の出会ったすべての医師がこのパターンであった。もちろん、何かイベントがあった場合はそれについて聞かれるが、どちらかというと問題がないことを確認するような聞き方をしてくる。


医師への伝え方


問診においては「伝え方」に最新の注意を払うべし。精神科医というのはなぜか悪いほうへ解釈する性質があるらしい。
たとえば、

私「最近気分もよく、出かけるようになりました」
医「少し躁状態ですね」

私「最近はあまりでかけてないですね」
医「少し鬱気味ですね」


これらは私が実際に経験した会話である。精神科医の考えは「現状維持」、これに尽きる。ローリスクローリターンである。

これを念頭におけば、ただ事実を述べるだけではいたずらに薬を増やされ、完治から遠ざかる可能性がある。悪い方向へ解釈されることをふまえて、内容を取捨選択のうえ述べるようにするべし。

(ただし、本当に追い詰められたときには誰かに吐き出すことで楽になる場合があり、そのときは存分に吐き出すべし)


医師は助けてくれない


「精神科に行けば気分が楽になってそのうち回復するだろう」という考えは甘い。彼らのできることは薬を処方することだけであり、相談にのるなどのスキルは期待してはならない。医師と会うのは診察の数分であり、かつ我々はたくさんいる患者の一人にすぎない。特別扱いなんてしてくれないし、場合によっては雑に扱われたりもする。間違っても自分を救ってもらおうとは考えないほうがいい。

病院や医師によると思うが、仕事やその他の患者の生活上の問題などはカウンセラーやソーシャルワーカーが担当するらしい。私はソーシャルワーカーに会ったことがないのでその辺のことは詳しい人に聞いてほしい。あまり救われた例を聞いたことがないが...


結局は自分で解決するしかない


そもそも精神科に通うきっかけを考えると、なにかストレスとなるものや環境、成育歴に問題があるのであって、それを解決できるのは自分しかいない。医師はあくまで他人であり、できることは限られている。

自分でなんとかするという気概を持って治療を受けるしかないのである。

精神疾患の後遺症

精神科から卒業し、一応の社会人となったいまでも、やはり精神科に通院していたという事実は重くのしかかってくる。
精神疾患の後遺症は、まさに精神疾患にかかっていたという事実と記憶なのではないだろうか。

まず、自分は精神を病んでいたんだという強烈なコンプレックスがある。「普通の人」はそうならないわけで、すなわち自分は普通ではない。また精神障害者に対する風当たりもよいとはいえず、それがまた余計な不安や焦りを生む。何よりもまわりからどう見られているのかが気になる。自分はあくまで「普通の人」を演じているものの、ほかの人とどこか違うことは否定できない。

度重なる身体的不調。やはり病んでいた時に崩したものは大きく、食事の偏りや運動不足、薬の副作用が重なって非常に脆弱な体になってしまった。いまも原因不明の体調不良に何度も悩まされている。面倒なのは精神症状ではなく身体症状という点であり、内科に行かなければ対処できず、また本当に何かの病気なのかただのストレスなのか自分では判別できない。この戦いを終わらせるには健康になるしかないが、過去を清算するには長い道のりが予想される。

そして、今後再発するのではないかという不安。いまのところは一応の生活は送れていても、いつどのタイミングで病むかわからない。そのときは働くこともできないだろうし、よくて休職、あるいは退職だろう。その後はまた闇の世界が待っている。

しかし私は、少なくとも現在頑張って生きている自分を評価したい。精神障害者のなかには挫折を経て疲れて何もする気が起きず、医師に診断書をうまく書いてもらって障害年金で暮らしている人もいる。一見するとただ人生をあきらめているようにしか思えない。仕事もせず、誰ともかかわらず、親のお金や障害年金でだらだらと暮らす。その生き方を否定はできないが、私はその道を選ぶことはできない。

私は障害者手帳を持っていないため、いわゆる正社員で働いている。つまり形式上は健常者である。精神科通院歴がありながらクローズで就職したひとにはあったことがないし、体験談なども見たことがない。ただ私がいまのところ何とかやっている事実を考えると、精神科から立ち直る道はあると信じている。私は「心に残る」ことを目標に、あくまで前を向いて生きていきたい。

精神科闘病記3 初めての診察

簡易な心理テストを受けた翌週、運命の初診の日を迎えた。

担当医はT医師という女医さんだった。40手前ぐらいだろうか。あまり優しい感じはなく、どちらかというと冷淡な印象の人だった。

「眠れてますか」「食事はとれてますか」「今どんな気持ちですか」

その辺のサイトに書いてありそうなテンプレな質問を、予想以上に淡々と投げかけてきた。
私もいたって冷静に、淡々と答えた。ただ、研究室内の私の立場については強調しておいた。

そうして、医師のなかで結論に達したらしく、

「ではまず薬を飲みましょう。それから指導教員の先生に電話しておきますね」

と端的に言われた。意外とあっさりしてるなと思った。
私としては精神科に通っていることを指導教員とはいえ他人に知られることに抵抗があったが、

「あなたの場合病気というより環境の問題で、今の環境をなんとかしないと変わらないですよね?」

というずばっとした意見に従わざるを得なかった。

もうひとつの薬に関しては全く説明がなかったので質問した。(ちなみにドグマチールだった)

「これはどんな薬なんですか」
「もともと胃薬で、気分の改善にも使われます」
「副作用とかないんですか?」
「まあ、人によっては太ることもあるけど」
「それ飲めば本当に楽になるんですか?」
「だいぶ楽になると思いますよ」

要するに対症療法的に、まず気分を楽にして眠れるようにということらしい。
あまり腑に落ちないがとりあえずもらって帰ってきたのだった。

その夜、ネットでドグマチールを調べ、あまり強烈な薬ではなさそうと判断し、飲んで寝ることにした。

しかしこれがまったく効かず、一睡もできずに朝を迎えたのだった。
本当に気休め程度だった。

これがまだまだ序の口に過ぎないことは言うまでもない。